「いい加減認めろよ、もう俺なしじゃいられないって」
「死ね」
それでも目を合わせたままノーとは言えないことを、ドフラミンゴは知っていた。
名前なら、勿論七武海入りの前から知っていた。
フルネームどころか彼の能力、懸賞金額、戦力や時には航路まで把握していた。けれどそれは、自らの航海の障りとなる可能性のひとつとして調べさせた情報の一葉に過ぎなかった。要するに、ドフラミンゴにとって、クロコダイルとはある程度名の通った海賊の一人でしかなかったのだ。
その認識が変化したのは、七武海の称号を得て初めてマリージョアへと赴いた時だった。
完全に観光気分で出向いた円卓は、たった三人で占められていた。聖書を携えた暴君バーソロミュー・くま、極彩色の羽根を纏ったドンキホーテ・ドフラミンゴ、そして、海賊らしからぬ格式ばった出で立ちで、葉巻をふかしていたサー・クロコダイル。後になって、この人数ですらよく集まった方なのだと、彼は知る。
斜め前方に座っていた男は、随分前の賞金首リストで見た顔と然程変わりなかった。それでも、予想以上に無味乾燥な会議の内容に耳を傾けるよりは、資料を繰る指に填まった指輪や葉巻の銘柄を観察していた方がましだったので、ドフラミンゴはそうした。ひとつしかないてのひらから伸びた指は、時折ぱらぱらと数枚の書類をめくったが、それ以外は概ね濃い煙をくゆらせる嗜好品を構っていた。
右耳に光る小さな金のピアスに、自分のものは随分前に塞がってしまったと思い出す頃、退屈な儀礼的集会はようやく終わった。久々につまらないことに長々と時間を割いてしまった後悔が、ドフラミンゴの中で首をもたげた。もう二度と召集には応じまい、と固く誓いながら廊下を歩いていた、そこに声をかけられた。
「そのサングラスは飾りか?」
足を止めたドフラミンゴの横を、なめらかな低音の持ち主が行き過ぎた。一瞬意味を図りかねた彼に、たっぷりとした毛皮のコートがひるがえる。
「不愉快なんだよ、てめェの下品な視線がな」
目が合った時間は一秒の半分もない。毅然と伸びた背筋が遠ざかるのを見ながら、ドフラミンゴは知らず口の端を吊り上げていた。
あの男で、どこまで遊べるだろうか。
手がけた事業は軌道に乗りきってしまった。丁度新しい暇潰しが欲しいと思っていたところだ。
投げつけた侮蔑が、己を泥土の底へ引きずりこんだことを、クロコダイルは未だに知らない。
初めて犯した時は、死に物狂いで抵抗された。
こちらもあちこち干されて血を流したが、久方ぶりの負傷すらアドレナリンの生成を促進し、身体の奥を裂きながら滾った肉をうずめた時、ドフラミンゴは完全にハイになっていた。
「フフッ…フッフッフッ! とんだじゃじゃ馬だ! 鞭と手綱でも準備しときゃよかったかもなァ!」
破れて羽毛の舞うキルトに埋もれて、後ろ手に縛られたクロコダイルはそれでも射殺すような視線をよこした。声を押し殺すために歯を食いしばっていなければ、間違いなく殺すと吐くような顔だった。相手を海楼石に繋ぐ代償に、包帯を巻くほどの傷を負って、ドフラミンゴは彼を侵略した。
一度手に落ちたからと言って、体を明け渡す諦めの良さはクロコダイルにはなかった。二度目も三度目も壮絶な抵抗は変わらず、ドフラミンゴはその度に文字通り命がけで臨んだ。たかだか性欲を満たすためだけに我が身を危険に晒す、それはただの酔狂だった。髪の先まで安寧に浸かって食傷気味だった日々の、鬱屈を晴らす退屈しのぎ。紛い物でない殺意の心地良さを味わいながら、ドフラミンゴは気が済むまでクロコダイルの肌を貪った。
けれど、何度組み敷いたかも思い出せなくなる頃には、その遊びは成立しなくなっていた。観念したように見せて、人形のかたくなさで蹂躙が終わるのを待つ態度が気に入らなかったので、ドフラミンゴは今まで触れたどの女よりも優しく彼を抱いた。
蔑みと嫌悪をもって蛮行をやり過ごすつもりだったクロコダイルは目に見えて戸惑い、それはそれで見物だったので、その後数回は最愛の恋人を抱くように接した。ロギアのくせに肉体的な苦痛に強い彼は、思いの外快楽に弱かった。遊びの趣旨は変わったが、重要なのは楽しめるか否かだ。ドフラミンゴはゲームを続行した。
手酷く扱ってきた身体の、どこにどう触れれば色のない肌に熱が上がるのか。耳の軟骨、盆の窪、肩胛骨、腰骨、脇腹、腿の内側、膝頭。くまなく唇を這わせ、掌握した。とりわけ弱い耳に、愛してると吹き込みながら突き上げて吐精させた時の、クロコダイルの顔はすこぶる良かった。隠しているつもりでも、恐怖が透けて見えた。過去に何があったのか知らないが、彼はひとから寄せられる無償の愛情を恐れていた。
だから、ドフラミンゴは溺れるほどクロコダイルを甘やかした。偽物と解っていても、彼は優しく触れられる度にドフラミンゴを押し退けようとした。その腕に、キスをした。虐待された愛玩動物の心を開かせるような、偽善的な楽しさはなかなか新鮮だった。
優しくするのも面倒になって、以前のように粗雑に抱いても、最早クロコダイルの敵意の牙は鈍っていた。悟られないように毛を逆立てていても肌で解る。総毛立つような、あの高揚感が欠落していた。無益に抗うのは自身の自尊心のためだとドフラミンゴは思っていたが、ほどなくそれが誤りであることに気付いた。
ああ、こいつ俺に飽きられるのが嫌なんだ。
思い至った瞬間、おかしくてたまらなくなった。自ら拒絶し、恐れている感情を、クロコダイルは自分に向けているのだ。生憎、目眩がするような愚かさを察して黙っているほど、ドフラミンゴは慈悲深くなかった。探り当てた恋情を口にして、彼につきつけては嘲笑しながら奥を穿った。乱暴に押し入られても苦痛を最小限に抑える術を、クロコダイルは経験で学び取っていた。
「愛してるぜ、クロコダイル」
やめろ、と悲鳴が上がる。肉体の辱めでなく、甘言によるいたぶりを拒む懇願であることを、ドフラミンゴは知っていた。だからこそ、鼓膜が溶けるほど甘い声音で愛を囁く。囁いて、打ち砕く。薄く張った氷にひびを入れ、その下に隠れた柔い感傷を踏みしだく。
クロコダイルにとって、ドフラミンゴの睦言は凶器だった。そう感じるように仕込んだのはドフラミンゴ自身だ。長らく誰にも触らせなかっただろう心底の奥深く、同じ場所を幾度も切り刻む、無形の切っ先。悦楽に酩酊した喘ぎは痛みに満ちて、ドフラミンゴの背筋を震わせた。その声が聞きたくて、彼はどんな抱き方をしても、クロコダイルの耳元に唇を寄せるようになっていた。そのさなか、ふとドフラミンゴは思う。
さて、遊びが遊びでなくなったのは、いつからだっただろうか。