自分でも割と男癖は悪い方だと思う。
セクシャリティを知っている友人達にこういう言い方をすると、自覚が足りない、と鬼の形相で騒ぎ立てられるので口にはしないが、それでも一応、自分のどうしようもなさは解っているつもりだ。恋愛も性欲も、不特定多数に見られる職業だからと言って無理に抑えつけたりはしなかった。勿論週刊誌やスポーツ新聞の三面とは仲良くなりたくないので、表立ってやるような馬鹿はしないけれども。それは、古巣から移籍して久しい今も、全く変わっていない。
「そう言っても、随分おとなしくなったわよね?」
格好は一貫した男性のそれでいながら、独特のやわらかさを含んだ口調でカウンターの向こうから尋ねられ、そうでもないよ、と否定する。歳を重ねて落ち着いたとか、ホームを移って勝手が解らないとか、そういうこともない。夜遊びに新鮮さを感じなくなったのは確かにあるから、最近は性欲だけを満たす目的のお付き合いはめっきり控えてるものの、恋愛は今だってしている。我ながら清すぎる、多分永遠に一方通行の片想いだ。何しろ、一般社会に準ずる言葉で指すなら、相手は上司で、当然のようにストレートの健全な男性なのだから。
「うん、こっち来てから純愛に目覚めたから」
かなり本音の含まれてる俺の言い分に、マスターが盛大に噴き出した。清水時代からアウェイでこっちに来る度、ちょくちょく寄っていた店の主人は、俺の悪癖を知っている。まあ、笑われても仕方ないと思う。
「本当だって、ノンケに片想い中なんだよ」
まだ肩を震わせてる相手に、憤慨した声音を作って言い募ってみる。片想いって! 咳こむほど腹筋を痙攣させる合間に、ひきつった鸚鵡返しが挟まった。
「そんなこと言って、もう食っちゃったんじゃないの?」
ひとつ空いた隣から、見た顔の客がグラスを唇に当てて冷やかしてくる。ああ、大分前に寝たことがあった、かもしれない。いや、割り切れる付き合いができるひとなら、こんなにまっとうに恋なんざしちゃいないんだけども。
「食ってないよ。綺麗すぎて触れもしねえって」
マスターがひゅっと短い口笛を飛ばす。古い店だけあって、時代を感じる感嘆のリアクションだ。感嘆、だと言うことにしておく。
「ドリさんにそこまで言わせるなんて、よっぽどいい男なのねえ」
「いい男だよ」
自分でも驚くぐらい、するりと即答した。隣の客が過度にうんざりした顔を作って、ご馳走様と吐き捨てる。俺は構わず続ける。
「掛け値無くいい男だよ。いつも一生懸命で、仕事が大好きでくったくたになってて、隙だらけで食っちまいたい」
「ほら本音!」
「本音が出た!」
食わないけどな。すかさず追い立てられて再度切り捨てる。
食わないさ。潰しの聞かないこの生業で、仕事場の空気を悪くするような無謀を起こすつもりなんて欠片もない。それに、一方的に恋してるだけってのも、この歳になってくると案外楽しい。相手は独身だから、未練がましい希望を抱く独り遊びだってできる。できるというか、ついしてしまうと言った方が正しい。何にせよ、中途半端な恋愛もしてみれば悪くない。
「やだなあ、ゲイも草食系の時代なの? ドリさんまで新しい子達と同じようなこと言わないでよ」
恋は叶えてなんぼでしょ? こんな難儀なセクシャリティで言ってのけるマスターも相当な肉食系って奴だと思うけどな。
「意気地がないのよね、最近来るようになった子ってみんなそう。男女でも男同士でも、伝えなきゃ何も変わらないのにねえ」
「実感こもってるな」
マスターの見た目は悪くない。それなりに引く手があって、適宜その手を取ってることも知っている。ともすれば思春期の女の子よりヒステリックで暴力的な男同士の修羅場も、くぐり抜けてきたんだろう。あれはちょっともう味わいたくない。
「男なんて傷つかなきゃ大きくなれないのよ。あ、ほら、噂をすれば草食系」
からん、とドアベルが鳴って、俺はマスターがてのひらを上向けて指した方を振り返る。なるほど見ない顔だと顔を戻して、えらい勢いでまた首を捻った。
「う、わ」
不完全燃焼な悲鳴。俺が上げたい。上げてたかもしれない。草食系か。ああ確かにそんな感じだ。知らないふりを、してくれればよかったのに。いやそれを言うなら俺がこんな反応をした時点でアウトだろう。店に一歩踏み入った状態でドアを開けた人間が瞬間冷凍されたせいで、店内に底冷えする外気がじわじわと流れ込んでくる。寒い。というより、つめたい。主に、指先と背筋が。冷気による影響じゃなく。
周囲に怪訝に思われていることにも気が回らないまま、俺も合わせた視線で感染したように硬直していた。自力解凍を試みた相手の口が、ぎこちなく開く。
「…………偶然、だな、緑川」
「……………………そう、ですね」
他にどう答えろって言うんだ、畜生。

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