昔から、彼は酷く燃費の悪い人間だった。
彼はとても「食べる」という行為を愛していたので、それは悩みであると同時に喜ぶべきことでもあったようだ。いくらカロリーを摂取しても肥らない、というよりは摂らないと痩せる、という驚異の代謝は、現役を退いて久しい今も変わらない。
「相変わらず、気持ちいい食べっぷりだね」
すいすいと肉を切り分け、咀嚼する彼は不思議に優雅だ。薄い身体のどこにコンソメやリエットや海老や牛頬肉が収まっているのか、そろそろ四半世紀を超える付き合いになるけれども、僕は解らないままだ。止めなければ今日もきっと、彼はメインをもう一皿頼んでいただろう。マナーに煩そうに見えても、僕の恋人は存外食欲の専横を許してしまう。
「そういう身体なんだ。解っているだろう」
涼しい顔でグラスを傾ける唇が、なんだか意味深なことを言う。他意はないと承知しているのに、視線はつい彼に引きつけられる。
「羨ましいよ。僕は食べた分だけ増えちゃうからね」
もっとも、彼がいなければ今ほど体型は気にしなかったかもしれない。だって、一番引き締まっていた頃の僕の身体を、彼は誰よりも知っている。
「知っているとも。それでも甘いものを断てないのもな」
若い女の子の悲劇みたいだ。皿に残った鹿肉のソースをくるりとバゲットで掬い取り、僕はそれを口の中に放り込む。高蛋白低カロリーを謳った、彼にとってはおそらく物足りない、僕のメインディッシュ。
「意地悪だなあ、君だって好きじゃないか」
この間、彼が風呂上がりにアイスクリームのパックを抱えてテレビを観ていたのを目撃した時は、時間が巻き戻ってしまったのかと思った。ひと口貰ったフレーバーはクッキーアンドクリームで、好みが変わっていなかったから尚更。
ピッチを去ってから、またこうして一緒に食事ができるようになるとは思いもしなかった。
一度は離してしまった手だった。ユニフォームを脱いでスーツで武装して、それぞれの場所でそれぞれのキャリアを選んで、それでも互いにサッカーから遠ざかることはできなくて。
そしてどちらの故郷からも遠い、東の果ての島国で、隣同士采配を揮っている。
「……また何か、感傷に浸っていただろう」
薄い唇が最後の肉片を呑み込む。感傷と呼ぶほど身を切る痛みは伴わなくなったけれど、中らずとも遠からずだ。
「いや、君がものを食べる姿はいつ見てもセクシーだなって思って」
常々思っていることだ、嘘じゃない。ふんと鼻を鳴らし、呆れた素振りで追及の手をゆるめてくれる君は優しい。
「ねえ、やっぱり僕は君が好きだよ」
行儀悪くテーブルに両肘をついて、何度目かも解らない告白をした。もう君は驚きもせず、片眉を上げるだけに留める。
「知っているとも」
飄々としていながら自信に溢れたその笑みに、年甲斐もなく胸が高鳴る。心愉しい昂揚だ。自分の愛情が、信頼を勝ち得ているという実感。
「でなければ、誰がこうして食事などするものか」
彼にとって、「食べる」は「愛する」に限りなく近い動詞なのだ。