※注意とあらすじ
・えろくない
・しねばいいゲスくま×健気若ミンゴ<くま×ドフラミンゴ注意>
・くま=音楽教師 若ドフ=生徒 若鰐=ドフの友人(腐れ縁)
・若ドフは勤労高校生→大学生(天涯孤独、高校時代は独り暮らし、大学からはくまと同棲)
・高校で独学でピアノ弄ってたらくま先生に教えてもらうことに→淡い憧れと恋心→無残に食われる
・くまが卒業まで「好きだ」と伝えず学校などで狼藉→ドフが完全に毒牙にかかった獲物
・想いが一応通じて同棲し始めた大学でも、経緯だけに信用できずドフは「騙してくれてる」と信じてる日々
・ということにくまが気付いていないろくでなし仕様
◆しねばいいゲスくま(略してしねくま)とは:
今月13日のくまドフオフにて、「砂遊び」の水無月さん、「見てろよ愚民共。」のまつさん、不肖管理人の3人が3人ともガチで泣きながら生み出したド外道くま。鬼畜ドフラミンゴをドMに目覚めさせる(イメージ)程度の暴君と非道っぷりを併せ持つ。「しねばいい」はオフ会後半の合言葉ばりに連呼された。
ただしじきに男前へと転進を遂げる。多分。
いつ来るともしれない終わりを、シミュレーションしたことは何度もある。
けれど、現実はどんな想像よりも突飛な形で、終焉を告げた。
「おーい、なァ、開けろよ鰐野郎、鰐ー」
続けざまにインターフォンを鳴らされ、クロコダイルが玄関まで駆ける間に、招かれざる来客は遠慮なく家主を呼ばわった。バーを外し、ドアを開けた先には見知った顔が立っていて、ただでさえ険のある面差しだというのに、彼は眉をしかめる。
「るせェ」
相手の顔を見て、何の用だ鳥頭、という後半の台詞は飲み込み、溜息をつく。半歩下がり、身体言語で仕方なしに招く意を表すと、ドフラミンゴはためらいなく上がり込んだ。勝手知ったるひとの家、とばかりにリビングへ向かい、一人掛けのソファにどかりと腰掛ける。傍らに放り投げられた大型のスポーツバッグを再確認し、クロコダイルは彼の次の要求を予想する。鮮やかなブルーのドラムバッグは、どう見ても中身が詰まっていた。
「なー、しばらく置いてくんねェ?」
来た。テーブルの上の煙草を拾い上げながら、クロコダイルの眉間の皺が深まる。それを見留めて、ドフラミンゴは唇を吊り上げた。
「そんなにヤな顔すんなよ。多分一ヶ月二ヶ月ぐらいで出てくからさァ」
顔の前で手を合わせ、お願いのポーズを取る相手を見下ろして、クロコダイルは内心疑問符を浮かべた。
諸々の要因で不安定になる度、ドフラミンゴは彼の家を体のいい逃げ場にしてきたが、具体的な期限を提示されるのは初めてだった。帰らないと啖呵でも切ってきたのか、いずれにしろ迷惑には違いなかった。
「ざけんな、とっとと帰れ」
煙と共に、苦々しく吐き出す。ソファの座面に踵を乗せて座ったドフラミンゴは、上がったままの口角から含み笑いをこぼした。
「フフフフッ、戻ってもどのみちもうすぐ空き家になっちまうんだ。意味ねェだろ?」
ひらりとてのひらを上に向け、大仰な仕草でおどけて見せるドフラミンゴに、クロコダイルは咥えた煙草を揺らした。
「……何?」
向かいのソファに掛け、灰を落とす。細くくゆる煙の向こうの男は、室内でもサングラスをかけたままだ。灰がかった翠色の虹彩は、光に弱いのだと知っている。一日のうち、かけている時間の方が長いから、外さなくとも不便を感じないのだと言っていた。
そのサングラスが、邪魔だ。
「あそこっつうか、この国引き払ってアメリカ行くらしいぜあの人。移住手続きとかよく解んねェ契約書とかが置いてあった」
英語は嫌いじゃねェんだけど、ビジネス英語っつうの? 堅っ苦しくて読み辛くてさァ。
よく回る口で語る旧友を眺めながら、クロコダイルは波立ちかけた胸の内を鎮めるよう努めた。ひとまず、ドフラミンゴの口上が終わるまでフィルタ越しの呼吸を続ける。そう長い話ではなく、一本吸い終わるまでに彼の家出の理由は把握できた。
要するに、彼が間借りしている家の家主の元教科担任が、職を移すにあたり米国へ移住するらしいので、近々住む場所を失うだろう自分も今のうちに新居を探したいと、そういうことだった。
「……また、笑えるほど突然な話だな」
チェーンスモーキングの手本を示しつつ、クロコダイルは肘掛けに頬杖をついた。壁紙の黄ばみなど知ったことではない。どうせ週に一度、ハウスクリーニングを頼んでいる。
「そりゃあ俺も昨日知ったばっかだったしな。前もって言ってくれりゃあ、もっと早く動けたのによ」
膝を掴んだ手にひかるいかついクロムハーツが、肉の薄い指を強調している。いつ見ても、その爪は切り揃えられていた。ピアノを弾く邪魔になるからだ。弾き初めた高校の頃はたどたどしかった指も、今では軽やかに華やいだ音を生む。生憎、クロコダイルが彼の演奏をきちんと聴いたことは一度もないが。
「ってわけだから、新居決まるまで居候させて? 頼れる鰐先生」
「胸クソ悪ィ呼び方すんじゃねェ」
思わずフィルタを浅く噛み、クロコダイルは嫌悪感を露わにする。他意がなかったとしても、彼の保証人と同じ肩書きで呼ばれるなど真っ平御免だった。
「長いことご執心だった割には、あっさりしたもんだな。五年か?」
高校二年から大学四年まで、浅からぬ仲だった――有り体に言えば、肉体関係を結んだ――男と離別するにしては、余韻のない決断だった。少なくとも、表面上は。
「フッフッ、そんなに経ってねェよ。四年と七ヶ月だ」
無言のまま、クロコダイルは腐れ縁の女々しさに鼻を鳴らす。この分だと、相手の誕生日も付き合い始めた日もキスをした日もセックスした日も覚えているに違いない。不愉快な会話を引き出す理由はなく、彼は確信に近いその思いつきを速やかに破棄した。
「まァ、お遊びにしては長く続いたんじゃねェの?」
膝の間から身を乗り出してリモコンを取り上げ、ドフラミンゴはテレビの電源を入れる。ニュースの時間帯を過ぎた今頃は、どこも雑多な娯楽番組を流していた。忙しなくチャンネルを換える横顔に薄く苛立ちを募らせ、クロコダイルは煙草を揉み消す。
「……負け惜しみなら、もっと上手く抜かせ」
言った後で、しまったと思う。画面を眺めていたドフラミンゴが、首を戻す。今更後には退けず、クロコダイルは彼の出方を待った。前髪をゴーグルで後ろに流した頭が小さく傾き、戻る。薄く開いた唇の隙間から、あァ、と間の抜けた声が洩れた。
「違ェよ。遊んでたのは、俺じゃなくてあの人」
当然のようになされた訂正に、クロコダイルは三本目の煙草を取り出しかけて、やめた。
「物持ちいーよなァ全く。ここまで続いたら文句も言わねェって」
再度液晶に視線を移して、ドフラミンゴが笑う。膝に置かれた指の先の色が、しろく抜けている。ほとほと自分の目敏さに嫌気が指し、クロコダイルはぐいと目を逸らしてライターを置いた。二十二年生きてきてそれなりに多種多様な人間と出会ってきたつもりだが、彼は未だにこの男以上の愚か者を見た事がない。大概のことを小器用にこなすくせに、決定的な場面では必ず対処ができずに仕損じる要領の悪さは、哀れみをとうに通り越して怒りに達している。しかも、おそらくその自覚は、本人にはないのだ。
「じゃあ何か? てめェは通算四年七ヶ月あの淫行教師のダッチワイフやってたってことか」
「フッフッフ! 仮にも親友に酷ェ言い草だなァ」
棘を増したクロコダイルの言葉を、ドフラミンゴは冗談めかして非難する。だが否定はしなかった。どころか、片膝に顎を乗せて背を丸め、楽しげに乗ってくる。目は相変わらず画面に逃げたままだ。
「本物なら空気抜けんだけど、流石に生きてたら貨物で送るわけにもいかねェだろ」
かち、と薄く開いた唇が指輪を噛む。ステンレスならともかく、銀では傷がつくことを懸念するが、今言うべきことではなかった。
「てめェは本当に、ありえねェほど救えねェ大馬鹿野郎だな」
吐き捨てると、クロコダイルは立ち上がった。ドフラミンゴの横を通り過ぎざま、頭をはたいてゴーグルをずらす。抗議の声を上げる客人を一瞥して、彼はかけてあったジャケットを羽織った。
「コンビニ行ってくる。腹減ってんなら、冷蔵庫の中のもん勝手に食ってろ」
「フフッ、やっさしー。そんなクロコちゃんが好きだぜ」
「今すぐ追い出されてェか」
口を噤んでホールドアップするドフラミンゴを目の端で確認し、クロコダイルは玄関を出た。数歩でエレベーターの前まで着き、立ち止まらずに反対側の端まで歩く。七階ともなれば、滅多に非常階段は使われない。数段下ったところで腰を下ろして、彼は内ポケットから携帯電話を取り出した。入れたままにしてあったボックスも取り出し、一本咥えて火をつける。ストレスの溜まる会話になると解っているなら、喫ってしかるべきだ。
卒業してから母校の教師と、それもよりによってあの男と密に連絡を取ることになろうとは思いもしなかった。それでも高校時代に比べれば、随分とましになったものだと思っていたのだが、どうやらそれは単なる希望的観測だったらしい。物に当たるなど馬鹿らしいと重々承知の上ながら、乱暴に開いた携帯のアドレス帳を呼び出して、クロコダイルは通話ボタンを押した。間を置かずスピーカーから話中音が聞こえ、舌打ちしてかけ直す。今度はワンコールで相手が出た。
「てめェ何してやがんだ、このろくでなしが」
端末の向こうで応じる声にかぶさるのも構わず、クロコダイルは歯切れよく罵った。開口一番に罵倒され、くまは改めて電話口の元教え子とは馬が合わないことを実感した。
『おれはまだ何も話していないが』
抑揚のない喋り方で尋ねると、クロコダイルの機嫌は更に悪化したようだった。元来、お互いに好き好んで連絡を取るような間柄ではないのだ。固有の番号で電波を繋げる理由は、いつでもクロコダイルの腐れ縁の友人で、くまの交際相手の人間にあった。もっとも今、後者の肩書きは本人の様子を窺う限り、極めて不確定なものになっているのだが。
「とりあえず言っておきたかっただけだ。気にするなと言いてェところだが、あんたには言う必要性を感じねェな」
『用があるのか喧嘩を売りたいのか、どちらだ』
かすかにちり、と物が焦げる音がして、一拍間が空く。答えを待たず、くまは単刀直入に切り出した。
『ドフラミンゴがそちらに行っているな』
質問ではなく、確認だった。
単に出かけているのではなく、長期に渡って外泊するつもりで支度をしたことは、クローゼットの中のダウンジャケットまで消えていることから解った。ドフラミンゴは時折ふらりと家を空けては何食わぬ顔で帰ってきたが、はっきりと出奔を思わせる行動を示したのは、これが初めてだった。加えて、本棚から抜き取られた一冊も妙に気にかかる。
「ああ、来てる。だが帰る気はねェそうだ」
継がれた言葉に、今度はくまの側から沈黙が生まれる。
『あいつがそう言ったのか』
何事もなかったように立て直し、くまはやはりどこか無機質な声音で尋ねる。悪感情は別にしても、この男のどこに彼が惹かれたのだろうと、クロコダイルは思う。生徒に手を出した致命的な一点を覗けば、男は寡黙で面白味のない、受験に絡まない選択教科を受け持つ教師でしかなかった。クロコダイルが音楽を選んだのは、作品を作る手間がなかったからだ。ドフラミンゴのように心から音に触れたくて選ぶ生徒など、受験を控えた三年の時には少数だったに違いない。
「帰ってもすぐに出てかなきゃならねェとか抜かしてやがったがなァ」
『なに?』
心持ち語尾が上がり、言葉の端に温度が生まれる。爪の先ほどだが気分が晴れた気がして、クロコダイルは皮肉気に唇をゆがめた。
「あんた、アメリカに移住するんだって?」
ドフラミンゴの勘違いではないだろう、と踏んだとおり、くまは数瞬押し黙った。居候希望の軽薄な男は、変化と不安に異様なほど敏感だ。生まれ育った環境のせいかどうかは知らないが、それが叩き潰せる要素なら完全に抹消し、逃れられなければ速やかに退避する。今回は典型的に後者のパターンだった。他人に負わされる前に、彼は自分で傷を負う方を選ぶ。痛みの度合いと深さが知れる分、気が楽だとでも言うつもりか。
『……ああ、あれを見たのか』
更に揺さぶりをかけられるかと思った一言で、くまは再び平生のトーンに戻る。
『おれから直接言うつもりだったのだがな』
むずがる子供に嘆息するように呆れ混じりの台詞を耳にして、クロコダイルの鳩尾が鈍く熱せられる。全てを解った上で言っているのか、それとも全く理解していないのか。いっそ前者であればいいと思いながら、彼は多分に嘲りの滲んだ笑い声を上げた。
「食い散らかす時も捨てる時も、マナーを弁えねェ野郎だな、あんたは」
先に好意を抱いていたのはドフラミンゴだ。だが、応じたのはこの男だった。どちらが先に求めたかは知らないし知りたくもないが、今自分の部屋で出来の悪い笑みを貼りつけてうずくまっているだろう彼を、そうなるまで溺れさせたのはくまだった。
『何のことだ』
本日二度目の舌打ちをして、クロコダイルはいらいらと歯の奥を軋らせる。察しの悪い人間と話すのは嫌いだ。無性に何かを踏みつけたくなり、彼はまだ長い煙草を足元に落とした。せっかく持ち出した携帯灰皿は、使われる機会を逸したまま、スラックスのポケットに納まっている。
「生身のダッチワイフじゃ税関は通らねェとよ」
吐き出した言葉は、思った以上に攻撃的になった。ほとんど恫喝と言っていい。まともにやりとりを重ねても埒が開かないと見切りをつけて、クロコダイルは一方的に続けた。
「あいつが考えるあんたにとっての自分は、たかだかそんなもんだ。あいつはあんたに馬鹿みてェに惚れてるが、あんたの言葉を信用しちゃいねェよ」
二本目の煙草が呼吸につれて、ちらちらと闇に明滅する。最近は日が暮れると服の隙間からひやりと冷気が忍び入ってくる。わずかに冷え始めた指先にあかい灯を留めて、クロコダイルは息を継いだ。
「あいつはあんたの家に戻る時、一度も『帰る』とは言わなかった」
じゃあ、戻るわ。
ふらりと転がり込み、一晩中画面と向かい合っていた友人が、立ち上がって暇を告げる時はいつでもそう口にした。帰るところではなく、体を休めるところなのだと言い張るように、その言い回しはついぞ変わることはなかった。そしてもうすぐ、彼は戻る場所すら失う。ドフラミンゴが見つけようとしているのは、寝て起きるためだけの設備だ。
「あいつを人間だと思ってるなら、てめェで引導渡しに来い」
ぶつり、と唐突に通話は終了し、それきりクロコダイルの携帯が震えることはなかった。
電源を落とした端末をポケットに落とし、彼はエレベーターホールへと引き返した。

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