「秘密です。でもこれから仕事ですよ」
冗談めかした素振りで唇に指を当て、やんわりと黙秘する彼に、後藤はおかしな感心をした。当時から大人びていたが、こんなかわし方ができる男になったのか、と瞠目する。
ほどなくかれいの煮付けと、緑川の頼んだ生姜焼きが来て、そこから暫しの沈黙が落ちた。話せない口実に飛びつくように、後藤はやわらかな白身をほぐす。仕事の話題を自ら封印してしまうと、こんなにも喋ることがなくなるものか。社会人になってからは趣味らしい趣味を持たなかった自分を、彼は今更ながらに認めた。
会話らしい会話もないまま、味噌汁や蕗の煮たのを咀嚼しているうちに、食事は終わりかけていた。この店の茶碗は土方御用達なのか大ぶりで、食べきると腹九分目を越えそうだった。
「水、要ります?」
プラスティックの水差しを持ち上げながら、緑川が尋ねてくる。その仕草があまりに自然だったので、後藤もすいとグラスを差し出した。水差しの中で、がしゃんと氷同士のぶつかる音が立つ。
縄の先をつよく引かれて、最後まで訊けず後藤はたたらを踏む。両腕をクッションに緑川に寄り掛かる格好になり、すぐさま体勢を立て直そうとするが、麻に繰られた距離は弛まない。
「後藤さん、今興奮してるでしょう」
おかしみを含んだ囁きは鼓膜から全身へ、雨のように染みとおった。
冬の凍えるそれではない。夏の夜に突然降る、諦めとともにずぶ濡れになるくらいが心地良い、ぬるい雨だ。
「してない」
否定は速やかだったが、後藤の返事はかすれていた。口にした刹那、彼は己の言葉の真偽が解らなくなる。
「してない?」
鸚鵡返しに問うてくる緑川の声音は、最早揶揄すら含んでいるように思われた。
「俺は後藤さんのそんな顔、初めて見ましたけどね」
踊れもしないダンスのステップを、無理矢理踏まされるように誘導されて、後藤はどさりとスツールへ座り込んだ。背凭れの代わりに伸びたのは、やはり緑川の腕だ。
脚を吊り上げられた時、青年はかすかに、けれど確かに呻いた。片方ずつ縄を分けて縛られた膝は、とうとうどちらも宙に浮いた。俯いたままの彼は首筋まで、かわいそうなくらい茹で上がっている。
その目元をてのひらで覆い、堀田が耳元に唇を寄せると、彼は激しく首を振った。あからさまに怯えた仕草だ。身体を揺らすことすら思うようにいかない、不自由への恐怖。演技か素か測りかねる、堀田の薄い笑みには凄味があった。
網籠のように吊り上げられた青年に、さらに縄を重ねようとしたところで、例のテーブルのキャストがストップの言伝を持ってきた。身内が晒し物になったのを見て、若者達はようやく酔いが覚めたらしい。縛る時と同じく、速やかに拘束を解くと、青年は落とされた縄の上に座り込んでしまった。あれが縄酔いって奴かな、と後藤は思わず考える。
「店長がいなくてよかったわね」
珍しくフリーの女王様キャスト筆頭、桂がすいと後藤の前に腰掛けた。空のカクテルグラスを受け取り、ドライマティーニのリクエストに応える。彼女は甘い酒を好まない。
「堀田も同じこと言ってたよ。緑川はよっぽど百倍返しなんだな」
ドライジンの瓶を取り上げながら、後藤は短く笑った。
「ま、待て、脱がす、なっ」
身を捩る獲物を押さえるには、片腕で抱き寄せれば事足りた。
丁寧に上からひとつひとつくつろげ、全て外してしまうと緑川の指はベルトのバックルを弾く。今度こそ、後藤の膝頭が跳ねた。
「ああ、確かに履いたままいけそうですね」
目まであかく染まったのではないかと思うほど、一気にのぼせる。そういう意味ではないと抗う気勢は、スラックスの上から前立てを撫でられて霧散した。
「苦しそうですね、かわいいなあ。本当に試してみます?」
不穏な台詞とともに胴を引かれ、爪先までベッドに上げられた。踏み込みの効かない柔軟な足場が、いよいよ後藤の動きを制限する。
「ぃっ、あ……っ」
胸をひろく撫でた手が、服の繊維ごと胸の先を削るように爪を立ててきて、情けなく上擦った声が洩れた。器用に捉えた、あるかなきかのそこを、緑川は執拗に嬲る。起ち上がった先端をきゅうと捻った後に、シャツをぴたりと貼りつかせてはそのかたちをあらわにする。