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萌えた時に萌えたものを書いたり叫んだりする妄想処。生存確認はついったにて。
30 . April
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03 . October
いい大人が離れるの離れないのなドリゴト。(甘め)
他の話とは繋がっておりません。すでに出来上がった親切仕様です。
よろしい方は続きから。














 その音は、鼓膜から鼓膜へとすりぬけてゆくようだった。
「え?」
 がし、と風呂上がりのままの濡れた髪を拭いて、後藤はその場に立ち止まった。正確には立ち尽くした、と言った方が正しい。ソファに腰掛けた緑川までの距離は、三歩と少し。片膝を開いてもう一方の脚に乗せた彼の上には、いつもと同じようにサッカーの専門誌がある。いつも、という基準が出来たのは、いつからだっただろうか。一気に回転速度を落とした頭が、思考を脱線させた。
「別れましょうか、って言ったんですよ」
 薄く笑みを刷いていることの多い唇の端は、閉じられると水平を下った。まなじりの綻びもなく、ただ真っ直ぐに後藤を網膜に写している。途端にぎゅうと喉が絞めつけられ、しかし声帯は反射のように素早くひらいた。
「そうか」
 滞りなく返事ができたことに安堵して、次に後藤は騒がしく渦巻き始めた鳩尾の熱を押さえつけにかかった。連動して脈を速める心臓には気付かないふりで対処する。己の感情に対する説得は速やかに行われ、反論は許さない。関係が始まった日から、この瞬間が訪れた時の選択肢は決まっていた。
「やっぱり女の子の方が良かっただろ?」
 声にぶれがないことを自分の耳で確認し、冷蔵庫のドアを開ける。言った傍から未練がましく聞こえてはいないだろうかと不安になるが、すぐに顔を向けるのも不自然で、飲みかけのミネラルウォーターを取り出して閉める。今し方ぬくまったはずの指先から、かすかに熱が引き始めていた。こういう話をされるなら、緑川の家に上がった時の方が良かったと思う。自分のタイミングで出て行けないのでは、持久力の見通しが立たない。
「理由、訊かないんですね」
 背後で立ち上がる気配がした。背中に全神経が集中し、近付いてくる足音を読み取る。
「いや、その気のなくなった相手を引き留めるような真似してもなあ」
 ヴォルヴィックのキャップに手をかけ、捻るが思いの外固く締まっていて開かない。更に温度を落とした指のせいだと、一拍遅れて気付く。後ろ髪を震わす距離でつかれた溜息に、脊椎は灼かれるようだというのに。
 滑る指がボトルの蓋に再び挑む前に、後藤と緑川の距離はゼロを通り越してマイナスになった。
「え、何だ、ちょっ、」
「……いえ、あまりにも予想通り過ぎて」
 上がった肘の隙間から、長い両腕が胴を巻く。俯いて凭れ掛かった緑川の髪が、後藤の耳をあまく擦った。今一度の嘆息が、首筋をぬるく湿らす。
「後藤さん、今俺の人生とか風評とか男同士とかお互いの立場とか自分の歳とか、必死に考えて頷いたでしょう」
 物理的にも精神的にも、これ以上逃げ場のない状態でとどめを刺され、後藤はとうとう沈黙する。緑川の言葉は指摘であって、疑問ではなかった。首を振れば即座に確信を持って否定されると、解る口調だった。
「まあ、確かに世間に知れたら色々な角度からまずいとは思いますけどね。――でもそんなリスクは、とっくに覚悟してるはずだ」
 さほど口数の多い方ではない緑川は、それでも口下手という訳ではない。伝えるべき事がある時は明晰な言葉で、能弁に話す。
「だからそうやって、俺の都合を最優先に考えるの、やめてください」
 一層つよく抱かれ、後藤は与えられた語彙を何とか咀嚼しようとした。けれど頭の中は酷く取り散らかっていて、緑川の言わんとしていることが上手く拾えない。口をついて出たのは、日本人の常套句だった。
「すまん緑川、何が言いたいのか」
「嘘ですよ」
 終わりまで言わせず、緑川がかぶせた。
「別れるなんて、嘘です。すみません」
 もしかしたら。
 もしかしたら、と直に皮膚から骨に滲みる近さで、やわらかな声が弁明する。
「浮気してたのか、とか、他に好きな子ができたのか、とか、せめて何でなんだ、とか、後藤さんの口から聞けるかなと思って」
 ようよう事態を把握した後藤は、そこまで耳にしたところで全身から力が抜けてゆくのを感じた。今まで強ばっていた自覚すらなかったので、突然の体感に疲労すら覚える。
「…………嘘なのか」
 どくん、と大きく拍を打って、心臓が通常の脈拍数を取り戻し始める。寿命が数秒から数分、縮んだ気がした。気付けば、冷蔵庫の前で大の男二人が長いことくっついていて、何とも言えず妙な絵面になっている。
「すみません、悪ふざけが過ぎました」
「ああ……うん、嘘なら別に、いいから」
 なだめるようにシャツ越しの腕を軽く叩く手にも、血が巡ってきている。片腕が離れて、まだあたたまりきってはいないその手を掴んだ。思わずあ、と声が洩れる。
「冷たい」
 ボトルを握っていない方のてのひらでは言い訳が利かず、後藤は仕方なく口の中で言い募った。
「えらく買い被られてるみたいだが、俺だって百パーセント理屈で動けるわけじゃない」
「ええ」
「……だから、その、今みたいな嘘は、やめてくれ」
「はい」
「――――この歳で、失くすのは辛いんだ」
 人は歳を重ねるごとに臆病になってゆく。ことに大切な何かを失うことにかけては、顕著に恐れを抱く。それを取り戻す力の別名は蛮勇であり、若さとともに目減りしてゆく情熱だからだ。日頃忘れがちな六年の歳の差が、緑川の目の前にふと現れて、消えた。
「……すごい告白ですね」
 普段滅多にラブコールにも応えてくれない恋人の、しずかな呟きに罪悪感と喜びを同時に覚える。真実、相手が誰かの伴侶になる未来を奪っているのは自分の方だと言うのに、後藤は彼が傍にいることを望んでいる。求められている幸福に、頬が弛むのを押さえられない。
「すみません、後藤さん」
 あなたを手放す気がなくて。

 続く言葉は音になることなく、後藤の唇に注がれた。




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